2015年10月21日水曜日

【レポート】タタールスタン文化週間参加記 (東京編)

当サイトでも頻繁に紹介してきた「タタール文化週間」
戦前に日本に亡命したタタール人によって建設された神戸モスクが80周年を迎えるにあたり、タタールスタン政府の主導で多くの記念行事を行うこととなった。このイベントはタタールスタンのメディアにも広く取り上げられ、当日にはお馴染みのАзатлык以外のメディアまで長い記事で紹介してくれた。

今回、当サイトの執筆者である中村と桜間がそれぞれ首都圏で行われた行事に参加したので、当日の様子をお伝えしたい。

今回の文化行事は長らく日本のタタール・コミュニティが望んだもので、2013年にミンニハノフ大統領が来日の際に開催の意向が大統領本人に伝えられた経緯がある。
今回、名目上は大統領の支援によって、これらの文化行事が行われる運びとなったのだった。

今回のイベントは、日本各地を転々としながら展開されていくユニークなもの。全体的には以下のようなプログラムで現在も進行中だ。
10月17日(土) 開会式 (於 東京ジャーミー)
10月18日(日) タタール・コンサート (於 東海大学湘南キャンパス)
10月19日(月) 国際会議 (於 東海大学湘南キャンパス)
10月20日(火) 神戸モスク80周年記念行事 (於 神戸モスク)
10月22日(水) タタール・コンサート (於 松江市 カラコロ工房)
10月23日(金) 国際会議 (於 島根県松江市 タウンプラザ)

このレポートでは、18日のコンサートと19日の国際会議の様子についてそれぞれ紹介したい。まずはコンサートから。


あくまでこれは前置き。実は、執筆者の中村は研究の傍でひっそりと歌手活動もしている。主に中央アジアの歌を歌うことが多い昨今だが、本心では最も思い入れのあるタタールの歌を日本でも歌いたいと思っていた時のことだった。
数ヶ月前に、今回のコンサートへの出演打診を受け、2曲タタールの歌を歌うことになったのだった。もはや神の思し召しとしか思えないので、もちろん快諾。


コンサート自体は「タタール・コンサート」と銘打って東海大学湘南キャンパスで行われた。一般公開(しかも無料)だったため、多くの一般客も入り、この手のイベントにしてはそれなりに繁盛していたように思う。
プロの歌手や民族楽器の演奏者、民族舞踊のダンサーなど、タタールスタンではまず無料ではお目にかかれないような豪華なラインナップだったので、今回このコンサートに参加できた客は相当ラッキーだった。もちろん、そんな彼らと共演してしまった私はもっとラッキーだった、と内心では思っている。(個人的な話をすると、今週大学院入試があるので運を使い切ってないことを祈るばかり)

今回タタールスタンからやってきたアーティストは6名。
ルスタム・マリコフ (民族的旋律、民謡、民族楽器コブズとクライ)
ムサ・マリコフ (サクソフォーン、ピアノ)
リナト・ヴァレエフ (ガルモン)
イリュサ・フジナ (民謡)
エルザ・アバエワ (民族舞踊)
イルナズ・ガチン (民族舞踊)
左からルスタム・マリコフ、ムサ・マリコフ、この記事の書き手の中村瑞希、リナト・ヴァレエフ、イリュサ・フジナ、イルナズ・ガチン、エルザ・アバエワ

そのほか、中村が途中でタタールの歌をぶち込んだほか、東海大学の学生を含むカザフ人学生によるカザフの民族舞踊、地元のバレエスクールの子どもたちによるタタール民族舞踊(!)なども披露された。
コンサート自体は3時間ほど続き、そのあとには民族料理・菓子などが提供されたほか、アーティストたちとの歓談タイムも設けられ、大変充実した内容だった。
ざっと、表向きにはこんな感じである。私自身は裏側も表側もよく見たので、当日の面白かった出来事もいくつか紹介したい。

リハーサルのために2時に来るようにお達しが来ていたが、なぜかタタールスタンのアーティストたちが待てども来ない。3時半になってようやくやってきた彼らの遅刻理由は「珍しくておいしい白身魚を食べるのに時間がかかってしまった」


結局リハーサルはなくなり、ぶっつけ本番となった。
ロシア(を含めた旧ソ連)ではよくあることなので、これくらいではまだまだ驚かない。だが、彼らが言う通り律儀に2時に会場に行ったのは迂闊だった。若干日本生活で平和ボケした感は否めない。

とりあえず、私たち中村と桜間は主催者に指示されるがままに会場中にタタールスタンの美しい風景や人々のパネルを貼ることになった。これらは両面テープ貼りで、結構落ちてくるのが大変だった。

コンサート前のドタバタ劇はまだまだ続く。彼らに振り回された主催者たちも同様に遅刻したため、会場の飾り付けといった細かいものは急ピッチで行う必要があった。会場ロビーで数時間の待ちぼうけを食らっていた中村と桜間は、主催者(友人)と目が合ってしまったがために、パネルを貼ったりといった細かな雑用を任されることになったのだった。

プログラム自体も明らかになったのはアーティストたちが到着してからで、私自身も先方に伝えていた曲のうち、どの曲をどのタイミングで歌うのかを知ったのはこの時だった。

見た目からして明らかにタタールな二人が、なぜかイタリア民謡の「O sole mio!」を奏で、歌っているシーン。
もはや何でもあり。とりあえず二人ともプロなだけあって大変上手かった。

さらに恐ろしいのは、ステージ裏でアーティストたちが「プログラムを変えて結局これを歌おう!」だとか「○○はどこだ?俺はちょっと水分補給に行くから先にステージで歌え!」といったカオスな状況を発生させていたことであろう。
プログラムにはないジャズの演奏が突如として始まったり、なぜかイタリア民謡が歌われたりといった謎モメントはあったが、とりあえずは「タタールスタンのアーティストによるパフォーマンス」ということで問題はなかろう。(と信じている)

アーティストたちの質は大変高いものだった。タタールの伝統舞踊は目にも止まらぬ早さで踊っているのに息がピッタリだし、歌は鳥肌が立つほどに素晴らしかった。また、伝統楽器の演奏も魂に染み込んでくるような深さと優しさが感じられるものであった。
会場中が一気に引き込まれるようなパフォーマンスに、来てよかったと思えた。こうした高いレベルの芸術を無料で鑑賞できるとは、タタールスタンもなかなか太っ腹である。


個人的には、彼らは単に来ただけではなく、ロシアの雰囲気までそっくりそのまま日本に持ってきたことは、ある意味では賞賛に値するとさえ思う。
こうした遅刻はもちろん、カオスなプログラム構成・変更や、会場を自由自在に動き回る観客や多くの子どもたち(半分以上は日本在住のタタールの子どもたち)などなど、まるでカザンでコンサートに参加しているような気持ちになって、ついついニヤけてしまった。ここのところ少々物足りなさを覚えていたので、数ヶ月ぶりに自分の中のロシアを補充することができて大満足である。


ちなみに、ガルモン奏者のリナトさんは個人的によく聞いていた奏者本人だった。つまり、タタールスタンでもトップクラスの奏者で、その世界では大変な有名人。
帰宅してから自分のプレイリストを見たら、民謡歌手のルスタムさんの曲も入っていたので、つまり、今回来ているアーティストは皆有名な人たちなのだろう。


会場では民族料理のみならず、タタールの民芸品や書籍も販売されていた。このテュベテイ(民族帽子)は生地もそれなりに厚手でそれなりにしっかりしたものだった。

コンサート自体はみっちり3時間、途中でタタールの民話をモチーフにしたアニメの上映なども行われ、大変充実した内容となった。タタール音楽や舞踊に興味を持ってやってきてくださったお客さんから満足の声が聞こえて、なんだか私まで妙に嬉しくなったのはここだけの話。(中の人の意見になってしまうのが怖いところ)

ちなみに、私自身は当サイトでも以前ご紹介した「Туган тел」「Мин яратам сине, Татарстан」を歌った。どちらも有名な曲なので、なかなか盛り上がったように思う。


いろいろとあったが、なかなか楽しいコンサートだった。けれどもこれ以上話していると地味に体力を消耗するので、コンサートの話はこれくらいにしたい。
コンサートの翌日には、同じく東海大学湘南キャンパス内で国際会議が開催された。私自身も発表者として参加したが、なんだか疲れたのでこれについては、同じく発表者の桜間氏に紹介してもらうことにする。




ということで、ここからは筆者代わって、桜間が国際学術会議についてお伝えする。

そもそもこの会議について、最初に打診を受けたのは8月初め。幕張で行われた国際中欧・東欧研究協議会(ICCEES)に参加した際だった。タタールスタンに関連する報告をした筆者の前に、カザンの研究者の姿が。いわく、「10月に日本に行って、研究会を計画している。日本側の参加者を探しているので、ぜひ参加してくれないか」と。詳細な日程もわからない状態だったので、筆者は前向きに検討するとのみ回答した。

その後、9月に資料収集でカザンに行った筆者は、この会議の主催者でもあるこの研究者を訪ねて、カザン・クレムリンの中にある歴史学研究所へ。改めて、会議の内容について聞き取り。ここでの説明は、「今回の会議は、これからのタタール人研究者と日本人研究者の共同研究の可能性を探るものだ。あくまでお互いを知り合うことが目的なので、英語で自分の研究の概要を5分程度話してくれればいい」というもの。それなら、ということで筆者も参加を快諾。

その後帰国して、一応の発表題目を送ったものの、その後会議の詳細に関する連絡はなし。5分のプレゼンということで、直前まで特に用意もせず、別の仕事に従事していた。9月後半になり、そろそろどうなっているのか気になってきた頃、件の研究者からメールが。それを見ると、会議には「日本とタタール世界の文化・経済・技術関係:歴史と現在」という立派な名前が。さらに、会議はいくつかのセッションに分かれている。どうも、当初聞いていた話と違う気がする、という疑念を抱えつつ、さらに時間が過ぎていった。

さらに10月に入って、あと2週間を切った10月9日、再びメールが。内容を確認すると、「各参加者は、自分の研究の方向性と成果について、15-20分(最大30分)話してもらう」と。ここにきて、いよいよ当初の話から食い違いが。さらに、この期に及んでも、自分達がどのセッションに入っているのかは分からず。
別の切迫した締め切りもあり、何の手も付けないまま、会議の直前の10月。そこで、一行の最終目的地である島根の関係者から別件でメールが。そのやり取りの中で、彼の手元には会議のプログラム(島根で行われる第2部を含む)があることを知り、早速送ってもらう。この段階で、初めて自分以外の参加者が確認でき、桜間は第1セッション「日本におけるタタール研究の発展」、中村は第2セッション「タタール・ディアスポラ研究」に入っていることが判明。

別の仕事が一段落した金曜日から本格的に準備に着手し、土曜日はほぼ徹夜状態で一応のペーパーを準備して、日曜にはコンサートのために東海大学のある湘南方面へ(この段階でも、会議主催側から、正式なプログラムの提供はなし・・・)。
コンサートを終えて、その夜は近場で一泊。翌日、月曜日ということで普通に授業を受けに来ている学生の波に混じって、大学までの急坂を上り、会議会場へ。
会場の建物の前に立っても、それらしき掲示などはなく、疑念を抱えつつ指定の部屋へ。会議開始10分前に着いたものの、既にほかの参加者はあらかたそろった状態であった。


  開会のあいさつをする東海大学副理事長とタタールスタン共和国閣僚会議諸民族文化・言語発展部長


日本、カザン双方の代表によるあいさつに続いて、いよいよ会議の開始。予定では、筆者(桜間)の発表は第1セッションの2番目。が、最初に発表するはずの日本人研究者を見ると、忙しそうにPPTを準備している様子。おかしいな、と思っていると、司会から特に説明もなく、筆者の紹介が。事情が呑み込めないまま、筆者の発表自体は何とか無事に終わった。
後で、最初の発表予定であった方に聞いたところ、最初の打診の時点で、参加できない旨伝えておいたのに、いつの間にかプログラムに入れられていた。なので、仕方なく来るだけきてみたが、発表の準備はできていなかった、とのこと。恐るべき強引な勧誘・・・。

とまれ、第1セッションは無事に終わって、第2セッションへ。最初の報告はフィンランド在住のタタール人研究者より、フィンランドのタタール人の現状についての報告。ここで、出席者は一気にヒートアップ。一緒に参加していたフィンランド・タタール協会の会長という弁護士の追加情報もあり、20分の持ち時間のはずが、1時間近い時間をかけて、熱い議論が行われた。



続いて中村が自身の家族史と研究報告を行って、国際会議デビュー。これも無事に終了して休憩時間に。
本来はここで昼食のはずだったが、学生の昼休みと重なり食堂がひどく混むということで、事務方の配慮から連続して次のセッションへ。
「文化間・宗教間の共存」と銘打ったセッションでは、特に日本の大学で働くロシア人の研究者による、日本の外国人墓地に埋葬されているタタール人についての報告で、やはり議論が白熱。



このセッションの終了予定時刻が13時半だったところ、気が付けばすでに15時ごろ。ここで主催者側から「会場は17時までしか使用できない。なので、昼食は抜きにして最後のセッションまでやりましょう」という驚愕の発言が。日本側参加者が、驚きで声も出せないまま茫然とする中、無慈悲に最後のセッション「タタール人の目を通した日本」が始まった。



ここでは、タタールの民族的詩人G.トゥカイと石川啄木の生涯及び作風の比較に関する発表で、非常に熱い議論が展開された。同じ年に生まれ、共に夭折した2人の詩人は、抒情的な詩を書いたという共通点もあるという。アカデミックな論証・位置づけは難しいものの、日本人とタタール人が、お互いの文化に関心を持つきっかけとしては面白いトピックかもしれない。

その後、記念撮影などがあり、16時半頃、朝からぶっ続けの研究会は終了した。
我々2人は前日までの疲労もあり、昼食時間に遠方から来ていることを理由に、早抜けすることを目論んでいた。しかし、結局その余裕は与えられず、最後まで参加することとなり、駅前で食欲を満たし、一杯のビールをあおってようやく帰宅の途に着いた。
人身事故の影響というおまけもつき、何とも言えない疲労感とともに帰宅したのは深夜。
とはいえ、我が家に帰ってくると、あの喧噪から解放されてどこかしら寂しさも覚える2人。

何より、タタールという共通のテーマで、濃厚な議論の場に居合わせられたのは楽しい経験であった。また、初めて耳にする情報もあり、研究の上でもそれなりの収穫は得られた。今後、さらに双方の研究交流が進むことを祈るばかりである。


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