"正しい"タタール語を話す人がこのままではいなくなってしまうのではないか——
タタールスタンではこんな危機感が叫ばれて久しい。
ロシア国内の自治体の一つでもあるタタールスタンだが、故にタタール語はロシア語の影響を大きく受け、タタール人の多くはタタール語を話そうとするとロシア語が混じる。
あるいは、育った時代や地域によってはタタール語を解さないタタール人も珍しくはない。
そこで、近年タタールスタン政府はタタール語保護運動に乗り出した。
その目玉政策の一つが「国際タタール語・タタール文学オリンピック」である。
この記事では、筆者が2015年4月に行われた第3回大会への参加記を元に、タタール語オリンピックの詳細をお伝えする。
街中ではどこでもロシア語が話され、カザンではタタール語が通じない場所も多い。
そのため、タタール語が話せる店員がいる店には、このような「タタール語を話します (мин татарча сөйләшәм)」ステッカーが貼られている。
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日本ではあまり知られていないが、ロシア革命以降はハルピンを経由して日本に亡命してきたタタールも数知れず。(多くはその後、オーストラリアやアメリカに再亡命したので、現在も日本に暮らすタタールはそう多くはない)
このように世界中に散らばるタタール人によって話されるのがタタール語である。
最も大きな話者数を抱えるのはロシア、とりわけタタールスタンやその周辺の地域だ。
クリミアでもクリミア・タタール語が話されるが、これはカザンのタタール語とは異なるもので、別言語である。よりトルコ語に近い。
また、シベリアにもシベリア・タタール人と呼ばれる集団が暮らしているが、彼らのことば(シベリア・タタール語)も独立した言語であるか論争がなされている。
現在ロシア国内のタタール語表記に使われるタタール語のキリル文字一覧
1939年導入。 |
旧ソ連圏外のタタール人によって広く使われるタタール語。
人によって使用する文字に揺れが大きく、これはあくまで一例だ。
この表は2001年にタタールスタンがタタール語表記をラテン文字に切り替えようとした際に提唱したもの。結局ロシア国内の言語はすべてキリル文字で表記されて然るべし、というモスクワの決定によって実現しなかった。
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そのほかにトルコや中国といったタタール人コミュニティを抱える国々でも広く話されるが、特徴は「文字」にある。
ロシアを含めた旧ソ連で話されるタタール語は、ロシア語と同じ文字にいくつかの改良文字を加えたキリル文字を用いる。だが、例えばトルコや欧米ではラテン文字で書かれることが多い。
諸説あるが9世紀頃から長らくタタール語の表記に使われてきた改良アラビア文字。 1920年代まで広く使われてきたが、現在は世界中でも一部のタタール人が使うのみとなった。 |
中国ではより古いスタイルであるアラビア文字で書かれると言われるが、実は人によって異なるらしく、キリル文字で書く人もいれば、音を当てはめた漢字で書く人もいて、バリエーションは様々なようだ。(今大会で仲良くなった新疆からの参加者は表音漢字でタタール語を書いていたので衝撃を受けた)
カザン中心部にあるクルシャリフ・モスクはタタールスタンのシンボルのひとつで、
ヨーロッパ最大級のモスク。タタールスタンの人々の誇りでもある。
(T.Rakhmattulin撮影、2009年、カザン) |
2015年4月20日から23日にわたってタタールスタンの首都・カザンで開かれた「第3回国際タタール語・タタール文学オリンピック」なるものに参加してきた。
このイベントはタタールスタン教育省とカザン連邦大学がタタール語・タタール文化の保持のために3年前から行われているもの。
そう、全世界のタタール語を話す若者たちがカザンに集う、何ともアツいとしか言えない大会に出場してきたのだ。今大会は日本からの参加者は私だけ。
(※なお、前年度大会の優勝者は当サイト投稿者の菱山氏。恐らくは現在日本人の中で最もタタール語ができる強者だ)
今大会、海外からの参加者は10カ国から17人。うち9人はカザフスタンと存在感があった。
そのほかアゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルコ、フィンランド、カナダ、ベルギー、中国、そして日本から1人ずつ。私以外は全員在外タタール人だった。
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2014年12月にインターネット上で開催されたネット選考でそれなりの成績を修めた参加希望者や、あるいは大会主催者側から声がかかった数人の人などが今大会に出場した。
なお、ネット選考は10,000人以上が受験し、うち本選となる今大会に出場したのは500人程度とのことなので、意外にも狭き門である。
ネット選考への参加者は年々増加をたどり、今後は更に狭き門となると思われるので、もしタタール語オリンピックに出たい!と思うのであれば、早いほうがよさそうだ。
ただし、それぞれ「タタール語学校の学生」「ロシア語学校の学生」「タタールスタン共和国外・ロシア連邦内の学生」など細かく出場カテゴリーが分けられており、もちろん「ロシア国外の生徒・学生」というカテゴリーもある。
今回私は「ロシア国外の生徒・学生」カテゴリーでエントリーした。
このカテゴリーではネット選考受験者が50-60人程度おり、うち本選に出場する権利を与えられたのが17人だった。
基本的に成績順に出場権利を与えられたが、カザフスタンからのエントリーが全体の7割を占めていたためか、彼らより若干成績が悪くても参加資格を与えられた人もいた。ちなみにそれは私のことだけれど。
ちなみに、今大会では上位35名程度が何らかの賞をもらったのだが・・・
ありがたいことに、私自身も入賞をいただくことができた。
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ただ、私がカザン入りしたのは大会開会日の前日の夜だったため、翌朝一番に受付を済ませたのち、数時間だけは自由時間があった。市中心部に出て本屋に行ったり、土産物を買うことはできた。
2015年4月20日 |
11:00 - 12:30 参加者到着・受付 12:30 - 13:30 昼食 13:30 - 18:00 参加者到着・受付 17:30 - 18:30 夕食 19:00 - 20:30 タタール語オリンピック開会式 20:30 休息 |
2015年4月21日 |
07:00 - 08:00 朝食 09:00 - 13:00 タタール語・文学に関する筆記・口述試験 13:30 - 14:30 昼食 15:00 - 17:00 「タタール語を話します」運動 17:30 - 18:30 夕食 19:00 - 21:30 「学生の春 2015」鑑賞 (大学生による劇の鑑賞) 21:30 休息 |
2015年4月22日 |
07:30 - 08:30 朝食 09:00 - 13:00 プレゼン課題の発表「我が民族・故郷・そして私」 13:30 - 14:30 昼食 15:00 - 16:30 若い世代のタタール語啓蒙活動家とのラウンドテーブル 17:00 - 18:00 夕食 18:00 - 18:30 ティンチューリン国立喜劇劇場への移動 19:00 - 21:30 劇の鑑賞 21:30 - 22:00 宿泊施設への移動時間 22:30 休息 |
2015年4月23日 |
06:45 - 07:45 朝食 08:00 - 11:00 市内観光・カザン・クレムリン (入賞者は閉会式リハーサル) 11:00 - 11:30 宿泊施設への移動時間 11:30 - 12:30 昼食 12:30 - 13:00 ムサ・ジャリル国立オペラ・バレエ劇場への移動 14:00 - 16:00 閉会式 (ミンニハノフ大統領も列席) 16:00 - 16:30 宿泊施設への移動時間 17:00 - 18:00 夕食 18:30 解散 |
このように、自由時間はほとんどないので、カザン市内を自由に観光することはできない。ただ、一方で普通とは違う濃密なカザン滞在になることは間違いない。
なお、タタール語オリンピックはこれまで3回開催され、うち参加した日本人は私を含めて合計2名。もしかすると次大会以降も日本から参加する人がいるかも・・・と淡い期待を抱きつつ、そんな人たちの参考になることを願い、この大会での気づきや注意点をまとめておきたい。
・ネット選考に関して
毎年12月頃にはネット選考の受付と受験ができる。
問題文の表記はキリル文字かラテン文字のどちらかを選択することができる。
試験は1時間以内に30問の問題(20問は選択、10問は入力形式)に回答する必要があるが、正直言って分からない問題があったらネットで即座に検索することはできる。
(例えば詩の穴埋めなど)
なお、実際にネット選考で出題された問題はこちら。参考までに。
問題文の表記はキリル文字かラテン文字のどちらかを選択することができる。
試験は1時間以内に30問の問題(20問は選択、10問は入力形式)に回答する必要があるが、正直言って分からない問題があったらネットで即座に検索することはできる。
(例えば詩の穴埋めなど)
なお、実際にネット選考で出題された問題はこちら。参考までに。
・大会の参加の決定に関して
1月末にネット選考で正答率の高い参加者は参加決定の通知がタタールスタン教育省より届く。
が、しかし!
大会ひと月前に突然大会への参加打診がメールで届いたりもする。
が、しかし!
大会ひと月前に突然大会への参加打診がメールで届いたりもする。
私の場合は得点率が75%、ある参加者は60%ほど、ある人はそもそも試験を受けていないなど、とにかく基準は不明だが、少なくとも6割程度の得点はほしいところ。
日本からの参加者はある意味で「国際オリンピック」を名乗るという点でも重宝されるらしく、数人受けても少なくとも一人はこのような裏ルートで参加することができるかもしれない。
なお、今大会は前大会に比べてもハイレベルで満点が続出だったので、来年以降は問題のレベルが上がる可能性も。
なお、今大会からはネット選考を受験するとこのような証明書を発行してくれるようになった。 |
・交通費や宿泊費
航空券や宿泊施設に関しては全てタタールスタン教育省が面倒を見てくれるので、心配無用。航空券に関しては直接教育省の担当者とメールでやり取りをしながら決定することとなる。
実際に私が宿泊した部屋。2013年にカザンで行われたユニバーシアード選手村を宿泊施設として使っていた。現在はカザン大学の学生寮でもある。
4人1部屋で、同室にはカナダ・トルコ・ウズベキスタンからの参加者がいた。共通言語はタタール語。
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・先方とのやりとり
基本的に直接教育省の担当者とメールでやり取りすることになるが、こちらは全てタタール語。
しかしキリル文字のタタール語でしか返事はしてくれないので、要注意。
(ラテン文字だと返事もしてくれない)
しかしキリル文字のタタール語でしか返事はしてくれないので、要注意。
(ラテン文字だと返事もしてくれない)
一方で、大会公式の連絡先にタタール語でメールをすると、ロシア語で質問をするように、とロシア語で返信がくる。タタール語オリンピックと言いながら、実情は…… という部分も見え隠れするのがこのメール。
・参加者について
ロシア国内の参加者については割愛するとして、全体の参加者人数は500名程度。ネット選考は10000人以上が受験しているので、中々狭き門。うちロシア国外からは9カ国17人おり、内訳はカザフスタンから9名、アゼルバイジャン1名、トルコ1名、フィンランド1名、カナダ1名、ウズベキスタン1名、ベルギー1名、中国1名、日本1名。私以外は全員がタタール語を日常的に使う在外タタール人だった。
ネット選考では外国からは70名ほどの受験があったそうだが、うち17名が出場できるので確率は高め。
海外参加者組と一緒に。朝早かったのでみんなテンションがぶっ飛んでいた。
ロシア国内のタタールはもちろん、世界中のタタールと知り合えるのもこの大会の魅力。
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・本選(口述試験)に関して
本選は作文・口述試験あり。
グループごとに部屋に分けられ、試験官がランダムに参加者に問題を配り、その場で20分ほど考えて作文し、それをもとに口述発表をする形式。書いたものも提出することで採点の対象となる。これはキリル文字で書く必要がある。
グループごとに部屋に分けられ、試験官がランダムに参加者に問題を配り、その場で20分ほど考えて作文し、それをもとに口述発表をする形式。書いたものも提出することで採点の対象となる。これはキリル文字で書く必要がある。
口述試験の手順は大まかに自己紹介が3-5分、回答2-3分、それから回答に対する質問が3人の試験官によってなされる。辞書持ち込み不可。事前に用意した自作の小さなメモなどは持ち込み可。
前大会では、口述試験の問題もラテン文字とキリル文字併記だったそうだが、今大会の問題用紙はキリル文字表記のみだった。
キリル文字が分からない参加者がひとりいたが、彼女は問題だけ読み上げてもらい、書いたものは提出しなかったそう。(減点があったかどうかは不明)
なお、筆記・口述試験で出題された問題の一部は覚えている限り以下の通り。
私は比較的答えやすい問題で、一番上のものだった。ラッキーだった。
・あなたの故郷について、遠方からきた友人を招待したつもりで、遺跡や歴史についても紹介してください。 ・アク・バルス(タタール人のシンボル的動物、雪豹)について紹介したのち、アク・バルスについてどう思うか述べてください。 ・タタールスタンについてどう思いますか。また最近若い世代がタタール語復興運動をしていますが、これについてどう思いますか。 ・あなたのタタール人としての誇りは何ですか。また、タタール語で最も美しいと思う詩を吟じ、解釈を述べてください。 |
・ロシア語に関して
基本的に外国から来ている参加者もほぼ全員がロシア語が分かる人たちであるため、タタール語オリンピックなのに大切な連絡などはロシア語で伝えられたり、書かれていたりする。
なお、大会前にメールで届いた大会概要やプレゼン課題に関する案内、ビザのために必要な提出書類もすべてロシア語だった。ロシア語が分からない場合はロシア語の分かる人に頼る必要がありそうだ。
また、大会中は基本的にタタール語だけでも大丈夫だが、一部のイベントは思いっきり全部ロシア語だったりするため、ロシア語が少しでも分かった方が全力で楽しめる。
ロシア語が話せると、たくさんインタビューを受ける。
私自身は合計15回のインタビューを受けたが、そのうち10回くらいはロシア語のインタビューだった。
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・課題に関して
本選出場者には課題が課され、今大会は自分の出自や国について5分以内でプレゼンをするのが課題だった。スタイルに関しては自由で、実際にパワーポイントを使う人もいれば、写真やビデオを見せる人もいた。
前大会は同じようなテーマで、ビデオプレゼン限定だったそうだ。この課題に関しては本選出場が決まった段階で案内があるが、ロシア語で案内されるので注意が必要。
前大会は同じようなテーマで、ビデオプレゼン限定だったそうだ。この課題に関しては本選出場が決まった段階で案内があるが、ロシア語で案内されるので注意が必要。
私はパワーポイントで用意したが、会場のPCと互換性がなかったため、
この印刷版を見せながら発表することとなった。印刷していってよかった!
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・インタビューなどについて
まず、日本人というだけで相当数のインタビューを覚悟しておかなくてはならない。インタビューだけでなく、参加者たちからの質問攻めと、写真を撮ってくれ!という依頼も凄まじい数となる。
つまり、メディアへの露出が激しくなるので、浴衣を着ていくなり、身だしなみをかなり整えていくと良い。また、「どうしてタタール語を勉強しているのか」「今大会にどうして出場しようと思ったのか、どう知ったのか」などの質問には簡潔に答えられるよう、構えておいたほうがよいだろう。
ちなみに私の場合はインタビューを15回、写真撮影は100回ほどだった。
・まとめ
色々とまとめてみると、やはり語彙力はもちろん(本選では作文があるので)、話す能力がかなり重要になってくる。また、今大会ではキリル文字のタタール語での作文もあったため、ある程度キリル文字にも慣れ親しんでおいたほうが賢明かもしれない。(不利にならないためにはどちらも慣れておくとよさそうだ)
また、とにかくたくさん話すと世界中に友だちができるのもこの大会の醍醐味。ネット選考に向けて語彙力を高めるのはもちろんのこと、会話力も同時に磨いておくと本選はさらに楽しくなるだろう。
ちなみに入賞者に与えられた賞品はSONY社製のグレードの高いデジタルカメラ。
もう少し上の賞だとタブレット端末や、優勝者だとiPadだった。
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大会は全体的によくオーガナイズがされていたし、新しくできた友人たちと過ごす毎日はとても刺激的だった。もっとタタール語が話せるようになりたい・・と、こうも心から思ったことはなかったかもしれない。
私以外の参加者は全員タタール人だったので、もちろん参加者の中では私のタタール語は稚拙なものだったはずだ。入賞なんて立派なものには到底ふさわしくない実力だったかもしれない。
けれども、この賞は私のタタール語能力だけでなく、きっと今後のタタール語学習の継続と、タタール語を日本でも盛り上げていってほしい、そんなことを願って与えられたものなのだろう、と勝手に解釈している。
今後ともにタタール語学習を続けていくとともに、将来的にはウズベク語はもちろんのこと、タタール語もどんどん紹介していきたいところ。
なお、ありがたいことに大会期間中はたくさん取材を受けたので、いくつかの記事や動画を紹介したい。
【動画】
・Казань inform:カザン・インフォーム (ロシア語、オリンピックに関する記事)
・世界タタール会議公式ホームページ (タタール語、受賞者一覧)
・Татар информ:タタール・インフォルム (ロシア語、閉会式のようすに関して)
・Татарлар.info:Tatarlar.info (ロシア語、記事中に私のコメントあり)
・События:サビーチヤ (ロシア語、記事冒頭部は私に関して)
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