2016年6月5日 Азатлык радиосы
アメリカに移住して十年以上になるアンドレイ・ドゥリンフェルドさんは、長年タタール語とバシキール語を学んでいる。彼はタタール語学習について我々に語った。
タタール語を外国語として学ぶ例は増えていっている。様々な民族の人がタタールの人々、文化、言語に興味を持つきっかけは様々な状況で生まれている。
最近フェイスブックでアンドレイ・ドゥリンフェルドという名の青年の投稿が多くの人を驚かせた。彼は標準タタール語でサバントゥイが行われる場所とそこへのアクセスを尋ねた。タタール人ユーザーの間でこれは大きな関心を呼び、アンドレイさんには多くの質問や激励が寄せられた。
我々もアンドレイさんと連絡を取り、彼と話した。
記者:まず自己紹介をお願いします、アンドレイさん。あなたはいつ生まれ、アメリカにいつ移住しましたか?
アンドレイさん:私は1989年にウクライナのハリコフで生まれました。10歳の時、母とアメリカに移住しました。アメリカで私は家で家族とロシア語で話し、家を出ると英語を使いました。今私はロシア語も英語も母語だと考えます。
シカゴ大学で言語学専攻で学びました。今私はバッファロー大学の博士課程で学んでいます。アメリカで言語学は、まず第一に、言語を研究する学問です。ですが言語の学習だけが言語学ではありません。ですから私の学習プログラムと言語学習の間に大きなつながりはありません。様々な言語を学ぶことは私にとって熱中できるものというような感じです。
記者:タタールスタンかバシコルトスタンに来たことはありますか?
アンドレイさん:バシコルトスタンには何回も来たことがあります。私の母はウファで生まれ育ちました。ウファに住む親戚がいます。子供のとき母と毎年夏にウファに行っていました。ウファに住む親戚は全員ロシア人で、タタール語は話しません。でも私は子供のときからウファに行くとタタール語とバシキール語に興味を持っていました。タタールスタンには残念ながら行ったことはありませんが、もちろん行きたいです。
記者:興味を持った後、タタール語をいつ学び始めましたか?
アンドレイさん:子供のころ毎年夏にウファに行ったとき、そこでバシキールとタタールの言語、文化、音楽に興味を持っていました。特にバシキールとタタールの民謡が好きでした。タタールとバシキールの文化、歌、性質をよく知るために子供の古都からタタール語とバシキール語を学びたいと思っていました。それで、10年前に学び始めました。
記者:では、バシキール語は完璧にできるということになりますか?
アンドレイさん:バシキール語とタタール語は同時に学び始めました。タタール語とバシキール語は互いによく似ているので、私にとってこの二つの言語を学ぶのは一つの言語を学ぶようなものでした。タタールとバシキールの文化、言語の間にはいくつかの大きな違いがありますが、学習者にとってそれらは本当に一つの言語のようです。
記者:他にどんな言語が話せますか?
アンドレイさん:英語、ロシア語、タタール語、バシキール語以外に、フランス語とアラビア語が分かります。また、いくつかの他のチュルク語(カザフ語、ウズベク語、トルコ語など)を読むと、わかります。
記者:タタール語とバシキール語をどのように学びましたか?どんな授業、本、サイトを使いましたか?
アンドレイさん:まず私はウファで買ったバシキール語の教科書を使いました。その教科書でバシキール語文法の基礎と一番大切な単語を学びました。他の教科書も使いました。
あとは大体、ネットで様々なタタールとバシキールのサイトを読んだり、歌を聞いたりして、学習を続けました。学び始めた2006年頃は、歌や番組をネットで見つけるのは難しかったです。
2007年から、YouTubeやそれに似たサイトが広まり、必要なタタール・バシキールの動画をネットで見つけるのが簡単になりました。それ以来私はタタール語とバシキール語を大体動画で学んでいます。
記者:タタール語で単語や文法など、何が難しいと感じましたか?
アンドレイさん:タタール語の文法は難しくないと思います。タタール語の単語を覚えるのも難しくなかったです。タタール語を学び始めた後、すぐに読むことができました。ですが聞いて理解するのははじめは難しかったです。発音も最初は難しかったです。
今はタタール語を聞くとよく分かります。ですが会話は今まで機会が少し足りていません。ですから、今私はアメリカに住むタタール人ともっとたくさんコミュニケーションをとるよう努めています。
記者:それでは、アメリカのタタール人とあなたは知り合いですか?どんなイベントに参加しましたか?
アンドレイさん:今年私は初めてアメリカで行われたサバントゥイに行きました。とてもすばらしかったです。そこで私は多くの面白い人たちと知り合いました。彼らとタタール語で話しました。また、そこに来た人たちの前でウェシレ・フェッタホヴァの「Туган як(故郷)」という歌を歌いました。
またこのサバントゥイで、革命後にロシアを去ったタタール人ディアスポラと知り合えてとても感動しました。なぜなら彼らは中国、日本、トルコで生まれても、タタール語が上手に話せるからです。
今タタールスタンとバシコルトスタンでも、自分たちの土地に住んでいるタタール人の中には、残念ながら、タタール語ができない人がいます。そんなタタール人にとって、アメリカに住むディアスポラのタタール人は見本になると思います。
記者:タタール文化はどれくらい面白いですか?
アンドレイさん:もちろん、とても面白いです。私はネットでタタールとバシキールの歌をたくさん聞きます。とても気に入っています。今のタタール人歌手の中で一番好きなのはヘニイェ・フェルヒ、アイダル・ガリモフ、ナイル・シェイマルダノフです。バシキール人歌手の中ではイレク・ノグマノフ、マルセリ・コトエフ、ユニル・コランバエフです。
また、タタール・バシキール民族の起源や、歴史にも興味があります。
http://www.azatliq.org/a/27771769.html
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