2015年10月25日日曜日

【ニュース】日本でタタール文化デーが行われる

2015年10月25日 Азатлык радиосы

10月17日から24日まで、日本でタタール文化デーが行われた。これは神戸モスク80周年を記念して催された。様々なイベントがタタールスタン政府の後援のもと、マルジャーニー歴史研究所によって行われた。

タタール・コンサートではタタール土産も販売された

今年は日本でタタール人が建てた最初のモスクである神戸モスクの建立80周年だ。これを記念して日本ではタタール文化デーが盛大に行われた。様々なイベントがいくつかの都市や県で催された。
主催者としてタタールスタン科学アカデミーのマルジャーニー歴史研究所、タタールスタン文化省、全世界タタール会議が参加した。

コンサートのチラシ
一連のイベントの中で最も重要なものは、「日本とタタール世界の文化・経済・技術関係:過去と現在」のテーマで行われた学術会議と、タタール文化を反映したコンサートだ。

タタール文化デーの開会式は10月17日に東京モスクにある文化センターで行われた。式では日本のタタール人ディアスポラの若いメンバーであるエフメット・ウェリエフさんが司会を務めた。タタールスタン政府のギョルシャット・ニグマトゥッリナさん、フィンランド・タタール人のリーダーであるアッティク・アリさん、マルジャーニー歴史研究所副所長のラディック・サリホフさん、東京に住むタタール人らが挨拶をした。


数日の間に、いくつかの都市で学術会議も行われた。開催に当たっては東海大学と日本対外文化協会が積極的に参加した。会議のテーマは、日本でのチュルク諸語とタタール語の教育の振興、タタール人ディアスポラの研究、異文化・宗教間の関係強化だった。東京モスクにある文化センターでは、フェリット・ゴベイェフさんの「タタールスタン:その素顔とイメージ」写真展が催された。


「タタールと日本の音楽はとても似ている」
日本でのタタール文化デーには、日本に住むタタール好きな日本人も積極的に参加した。例えば、(タタールの歴史や文化を研究している)桜間瑛さんが会議で発表した。アザトルックの読者の皆様にもおなじみとなった中村瑞希さんはコンサートにも会議にも参加し、イベント全体について私たちにこのような感想を送ってくれた。

中村瑞希さん

「10月18にちに横浜からほど近い場所にある東海大学で「タタール・コンサート」なるイベントがあり、タタール音楽と舞踊のコンサート、タタール・アニメの上映やタタール料理の紹介が行われました。10月19日には同様に東海大学で学術会議の第一部が行われ、テーマは「日本とタタール世界の文化・経済・技術関係」というものでした。

会議での発表の様子

私はコンサートと会議のどちらにも参加しました。コンサートではタタールの民族衣装を着て「トゥガン・テル」「おまえが好きだ、タタールスタン」を披露しました。
日本人の友人たちもたいそうタタールの歌が気に入ったようで、彼ら曰くタタール音楽は日本の演歌と似ている!とのことでした。私自身もそう思います、日本の(演歌の)旋律はタタールのМоң(タタール独特の寂しげな旋律)にとても似ています。例えば「かあさんの歌」という歌なんてどうでしょう。


それから、ガルモン(アコーディオン)奏者のリナト・ヴェリエフさんと知り合えたのがとても嬉しかったです。これまで彼の演奏はインターネットでしか見聞きしたことがなかったものですから。

日本で行われたコンサートにて:歌手のロステム・マリコフ氏


10月19日には学術会議が行われました。私は「タシケントのタタール人の言語状況」についての発表を行い、他の発表者は「石川啄木とガブドゥッラ・トゥカイの比較」や「フィンランドのタタール人の言語と文化」、「タタールスタンにおけるイスラーム」といった興味深い発表を行いました。会議はとても白熱し、昼食を摂ることも忘れるほどのものでした。

神戸市や島根県でも同様にこうしたコンサートや会議が行われたそうです」と中村瑞希さんは私たちに語ってくれた。

http://www.azatliq.org/content/article/27325129.html

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2015年10月24日土曜日

【ニュース】第四回国際タタール語・文学オリンピック実施要綱


ロシア連邦および外国の生徒と学生のみなさんへ

タタールスタン共和国教育科学省がロシア連邦および外国の生徒と学生向けの第四回国際タタール語・文学オリンピックの実施について連絡します。

オリンピックにはロシア連邦と外国に住む14歳から25歳の生徒と学生が参加することができます。オリンピックは一次試験と本大会の二回に分けて行われます。2015119日から1221日までカザン連邦大学のサイトabiturient.kpfu.ru.で一次試験参加者の登録が行われます。

2015127日から21日まで一次試験としてネット試験が行われます。ネット試験は学校や大学のパソコン教室や、参加者自身のパソコンで行われます。登録とテスト受験に関する規則についての指示はカザン連邦大学のサイトabiturient.kpfu.ru.に掲載されています。

ネット試験には指示に基づいて、所定の期間にカザン連邦大学のサイトで登録し、全ての必要な情報を正確に入力した人が参加できます。

各カテゴリー別の本大会参加点はオリンピック実行委員によって2016115日までに発表されます。

以下のことに注意してください:もし合格者数が参加者数として設定された数より多かった場合は、一次試験合格者に追加の課題が課されます。

本大会に進む参加者の名簿はカザン連邦大学のサイトabiturient.kpfu.ru.に、またはタタールスタン共和国教育科学省のサイトhttp://mon.tatarstan.ru2016131日までに掲載されます。

  • 本大会は2016420日以降に行われます。
二次試験には一次試験合格者が参加します。
原則として、カザン連邦大学のサイトabiturient.kpfu.ru.に掲載される合格者名簿に載った人が、二次試験に参加します。
  • オリンピック本大会の優勝者や受賞者には、タタールスタン教育科学省の賞状と素晴らしい賞品がプレゼントされます。オリンピック本大会の参加者全員は証書が与えられます。

みなさんの参加をお待ちしております!

連絡先
コンクール実行委員会:8(843) 2949510, 2925993
テクニカルサポート部:8(843) 2387711;e-mail: rt.test@kpfu.ru

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2015年10月21日水曜日

【レポート】タタールスタン文化週間参加記 (東京編)

当サイトでも頻繁に紹介してきた「タタール文化週間」
戦前に日本に亡命したタタール人によって建設された神戸モスクが80周年を迎えるにあたり、タタールスタン政府の主導で多くの記念行事を行うこととなった。このイベントはタタールスタンのメディアにも広く取り上げられ、当日にはお馴染みのАзатлык以外のメディアまで長い記事で紹介してくれた。

今回、当サイトの執筆者である中村と桜間がそれぞれ首都圏で行われた行事に参加したので、当日の様子をお伝えしたい。

今回の文化行事は長らく日本のタタール・コミュニティが望んだもので、2013年にミンニハノフ大統領が来日の際に開催の意向が大統領本人に伝えられた経緯がある。
今回、名目上は大統領の支援によって、これらの文化行事が行われる運びとなったのだった。

今回のイベントは、日本各地を転々としながら展開されていくユニークなもの。全体的には以下のようなプログラムで現在も進行中だ。
10月17日(土) 開会式 (於 東京ジャーミー)
10月18日(日) タタール・コンサート (於 東海大学湘南キャンパス)
10月19日(月) 国際会議 (於 東海大学湘南キャンパス)
10月20日(火) 神戸モスク80周年記念行事 (於 神戸モスク)
10月22日(水) タタール・コンサート (於 松江市 カラコロ工房)
10月23日(金) 国際会議 (於 島根県松江市 タウンプラザ)

このレポートでは、18日のコンサートと19日の国際会議の様子についてそれぞれ紹介したい。まずはコンサートから。


あくまでこれは前置き。実は、執筆者の中村は研究の傍でひっそりと歌手活動もしている。主に中央アジアの歌を歌うことが多い昨今だが、本心では最も思い入れのあるタタールの歌を日本でも歌いたいと思っていた時のことだった。
数ヶ月前に、今回のコンサートへの出演打診を受け、2曲タタールの歌を歌うことになったのだった。もはや神の思し召しとしか思えないので、もちろん快諾。


コンサート自体は「タタール・コンサート」と銘打って東海大学湘南キャンパスで行われた。一般公開(しかも無料)だったため、多くの一般客も入り、この手のイベントにしてはそれなりに繁盛していたように思う。
プロの歌手や民族楽器の演奏者、民族舞踊のダンサーなど、タタールスタンではまず無料ではお目にかかれないような豪華なラインナップだったので、今回このコンサートに参加できた客は相当ラッキーだった。もちろん、そんな彼らと共演してしまった私はもっとラッキーだった、と内心では思っている。(個人的な話をすると、今週大学院入試があるので運を使い切ってないことを祈るばかり)

今回タタールスタンからやってきたアーティストは6名。
ルスタム・マリコフ (民族的旋律、民謡、民族楽器コブズとクライ)
ムサ・マリコフ (サクソフォーン、ピアノ)
リナト・ヴァレエフ (ガルモン)
イリュサ・フジナ (民謡)
エルザ・アバエワ (民族舞踊)
イルナズ・ガチン (民族舞踊)
左からルスタム・マリコフ、ムサ・マリコフ、この記事の書き手の中村瑞希、リナト・ヴァレエフ、イリュサ・フジナ、イルナズ・ガチン、エルザ・アバエワ

そのほか、中村が途中でタタールの歌をぶち込んだほか、東海大学の学生を含むカザフ人学生によるカザフの民族舞踊、地元のバレエスクールの子どもたちによるタタール民族舞踊(!)なども披露された。
コンサート自体は3時間ほど続き、そのあとには民族料理・菓子などが提供されたほか、アーティストたちとの歓談タイムも設けられ、大変充実した内容だった。
ざっと、表向きにはこんな感じである。私自身は裏側も表側もよく見たので、当日の面白かった出来事もいくつか紹介したい。

リハーサルのために2時に来るようにお達しが来ていたが、なぜかタタールスタンのアーティストたちが待てども来ない。3時半になってようやくやってきた彼らの遅刻理由は「珍しくておいしい白身魚を食べるのに時間がかかってしまった」


結局リハーサルはなくなり、ぶっつけ本番となった。
ロシア(を含めた旧ソ連)ではよくあることなので、これくらいではまだまだ驚かない。だが、彼らが言う通り律儀に2時に会場に行ったのは迂闊だった。若干日本生活で平和ボケした感は否めない。

とりあえず、私たち中村と桜間は主催者に指示されるがままに会場中にタタールスタンの美しい風景や人々のパネルを貼ることになった。これらは両面テープ貼りで、結構落ちてくるのが大変だった。

コンサート前のドタバタ劇はまだまだ続く。彼らに振り回された主催者たちも同様に遅刻したため、会場の飾り付けといった細かいものは急ピッチで行う必要があった。会場ロビーで数時間の待ちぼうけを食らっていた中村と桜間は、主催者(友人)と目が合ってしまったがために、パネルを貼ったりといった細かな雑用を任されることになったのだった。

プログラム自体も明らかになったのはアーティストたちが到着してからで、私自身も先方に伝えていた曲のうち、どの曲をどのタイミングで歌うのかを知ったのはこの時だった。

見た目からして明らかにタタールな二人が、なぜかイタリア民謡の「O sole mio!」を奏で、歌っているシーン。
もはや何でもあり。とりあえず二人ともプロなだけあって大変上手かった。

さらに恐ろしいのは、ステージ裏でアーティストたちが「プログラムを変えて結局これを歌おう!」だとか「○○はどこだ?俺はちょっと水分補給に行くから先にステージで歌え!」といったカオスな状況を発生させていたことであろう。
プログラムにはないジャズの演奏が突如として始まったり、なぜかイタリア民謡が歌われたりといった謎モメントはあったが、とりあえずは「タタールスタンのアーティストによるパフォーマンス」ということで問題はなかろう。(と信じている)

アーティストたちの質は大変高いものだった。タタールの伝統舞踊は目にも止まらぬ早さで踊っているのに息がピッタリだし、歌は鳥肌が立つほどに素晴らしかった。また、伝統楽器の演奏も魂に染み込んでくるような深さと優しさが感じられるものであった。
会場中が一気に引き込まれるようなパフォーマンスに、来てよかったと思えた。こうした高いレベルの芸術を無料で鑑賞できるとは、タタールスタンもなかなか太っ腹である。


個人的には、彼らは単に来ただけではなく、ロシアの雰囲気までそっくりそのまま日本に持ってきたことは、ある意味では賞賛に値するとさえ思う。
こうした遅刻はもちろん、カオスなプログラム構成・変更や、会場を自由自在に動き回る観客や多くの子どもたち(半分以上は日本在住のタタールの子どもたち)などなど、まるでカザンでコンサートに参加しているような気持ちになって、ついついニヤけてしまった。ここのところ少々物足りなさを覚えていたので、数ヶ月ぶりに自分の中のロシアを補充することができて大満足である。


ちなみに、ガルモン奏者のリナトさんは個人的によく聞いていた奏者本人だった。つまり、タタールスタンでもトップクラスの奏者で、その世界では大変な有名人。
帰宅してから自分のプレイリストを見たら、民謡歌手のルスタムさんの曲も入っていたので、つまり、今回来ているアーティストは皆有名な人たちなのだろう。


会場では民族料理のみならず、タタールの民芸品や書籍も販売されていた。このテュベテイ(民族帽子)は生地もそれなりに厚手でそれなりにしっかりしたものだった。

コンサート自体はみっちり3時間、途中でタタールの民話をモチーフにしたアニメの上映なども行われ、大変充実した内容となった。タタール音楽や舞踊に興味を持ってやってきてくださったお客さんから満足の声が聞こえて、なんだか私まで妙に嬉しくなったのはここだけの話。(中の人の意見になってしまうのが怖いところ)

ちなみに、私自身は当サイトでも以前ご紹介した「Туган тел」「Мин яратам сине, Татарстан」を歌った。どちらも有名な曲なので、なかなか盛り上がったように思う。


いろいろとあったが、なかなか楽しいコンサートだった。けれどもこれ以上話していると地味に体力を消耗するので、コンサートの話はこれくらいにしたい。
コンサートの翌日には、同じく東海大学湘南キャンパス内で国際会議が開催された。私自身も発表者として参加したが、なんだか疲れたのでこれについては、同じく発表者の桜間氏に紹介してもらうことにする。




ということで、ここからは筆者代わって、桜間が国際学術会議についてお伝えする。

そもそもこの会議について、最初に打診を受けたのは8月初め。幕張で行われた国際中欧・東欧研究協議会(ICCEES)に参加した際だった。タタールスタンに関連する報告をした筆者の前に、カザンの研究者の姿が。いわく、「10月に日本に行って、研究会を計画している。日本側の参加者を探しているので、ぜひ参加してくれないか」と。詳細な日程もわからない状態だったので、筆者は前向きに検討するとのみ回答した。

その後、9月に資料収集でカザンに行った筆者は、この会議の主催者でもあるこの研究者を訪ねて、カザン・クレムリンの中にある歴史学研究所へ。改めて、会議の内容について聞き取り。ここでの説明は、「今回の会議は、これからのタタール人研究者と日本人研究者の共同研究の可能性を探るものだ。あくまでお互いを知り合うことが目的なので、英語で自分の研究の概要を5分程度話してくれればいい」というもの。それなら、ということで筆者も参加を快諾。

その後帰国して、一応の発表題目を送ったものの、その後会議の詳細に関する連絡はなし。5分のプレゼンということで、直前まで特に用意もせず、別の仕事に従事していた。9月後半になり、そろそろどうなっているのか気になってきた頃、件の研究者からメールが。それを見ると、会議には「日本とタタール世界の文化・経済・技術関係:歴史と現在」という立派な名前が。さらに、会議はいくつかのセッションに分かれている。どうも、当初聞いていた話と違う気がする、という疑念を抱えつつ、さらに時間が過ぎていった。

さらに10月に入って、あと2週間を切った10月9日、再びメールが。内容を確認すると、「各参加者は、自分の研究の方向性と成果について、15-20分(最大30分)話してもらう」と。ここにきて、いよいよ当初の話から食い違いが。さらに、この期に及んでも、自分達がどのセッションに入っているのかは分からず。
別の切迫した締め切りもあり、何の手も付けないまま、会議の直前の10月。そこで、一行の最終目的地である島根の関係者から別件でメールが。そのやり取りの中で、彼の手元には会議のプログラム(島根で行われる第2部を含む)があることを知り、早速送ってもらう。この段階で、初めて自分以外の参加者が確認でき、桜間は第1セッション「日本におけるタタール研究の発展」、中村は第2セッション「タタール・ディアスポラ研究」に入っていることが判明。

別の仕事が一段落した金曜日から本格的に準備に着手し、土曜日はほぼ徹夜状態で一応のペーパーを準備して、日曜にはコンサートのために東海大学のある湘南方面へ(この段階でも、会議主催側から、正式なプログラムの提供はなし・・・)。
コンサートを終えて、その夜は近場で一泊。翌日、月曜日ということで普通に授業を受けに来ている学生の波に混じって、大学までの急坂を上り、会議会場へ。
会場の建物の前に立っても、それらしき掲示などはなく、疑念を抱えつつ指定の部屋へ。会議開始10分前に着いたものの、既にほかの参加者はあらかたそろった状態であった。


  開会のあいさつをする東海大学副理事長とタタールスタン共和国閣僚会議諸民族文化・言語発展部長


日本、カザン双方の代表によるあいさつに続いて、いよいよ会議の開始。予定では、筆者(桜間)の発表は第1セッションの2番目。が、最初に発表するはずの日本人研究者を見ると、忙しそうにPPTを準備している様子。おかしいな、と思っていると、司会から特に説明もなく、筆者の紹介が。事情が呑み込めないまま、筆者の発表自体は何とか無事に終わった。
後で、最初の発表予定であった方に聞いたところ、最初の打診の時点で、参加できない旨伝えておいたのに、いつの間にかプログラムに入れられていた。なので、仕方なく来るだけきてみたが、発表の準備はできていなかった、とのこと。恐るべき強引な勧誘・・・。

とまれ、第1セッションは無事に終わって、第2セッションへ。最初の報告はフィンランド在住のタタール人研究者より、フィンランドのタタール人の現状についての報告。ここで、出席者は一気にヒートアップ。一緒に参加していたフィンランド・タタール協会の会長という弁護士の追加情報もあり、20分の持ち時間のはずが、1時間近い時間をかけて、熱い議論が行われた。



続いて中村が自身の家族史と研究報告を行って、国際会議デビュー。これも無事に終了して休憩時間に。
本来はここで昼食のはずだったが、学生の昼休みと重なり食堂がひどく混むということで、事務方の配慮から連続して次のセッションへ。
「文化間・宗教間の共存」と銘打ったセッションでは、特に日本の大学で働くロシア人の研究者による、日本の外国人墓地に埋葬されているタタール人についての報告で、やはり議論が白熱。



このセッションの終了予定時刻が13時半だったところ、気が付けばすでに15時ごろ。ここで主催者側から「会場は17時までしか使用できない。なので、昼食は抜きにして最後のセッションまでやりましょう」という驚愕の発言が。日本側参加者が、驚きで声も出せないまま茫然とする中、無慈悲に最後のセッション「タタール人の目を通した日本」が始まった。



ここでは、タタールの民族的詩人G.トゥカイと石川啄木の生涯及び作風の比較に関する発表で、非常に熱い議論が展開された。同じ年に生まれ、共に夭折した2人の詩人は、抒情的な詩を書いたという共通点もあるという。アカデミックな論証・位置づけは難しいものの、日本人とタタール人が、お互いの文化に関心を持つきっかけとしては面白いトピックかもしれない。

その後、記念撮影などがあり、16時半頃、朝からぶっ続けの研究会は終了した。
我々2人は前日までの疲労もあり、昼食時間に遠方から来ていることを理由に、早抜けすることを目論んでいた。しかし、結局その余裕は与えられず、最後まで参加することとなり、駅前で食欲を満たし、一杯のビールをあおってようやく帰宅の途に着いた。
人身事故の影響というおまけもつき、何とも言えない疲労感とともに帰宅したのは深夜。
とはいえ、我が家に帰ってくると、あの喧噪から解放されてどこかしら寂しさも覚える2人。

何より、タタールという共通のテーマで、濃厚な議論の場に居合わせられたのは楽しい経験であった。また、初めて耳にする情報もあり、研究の上でもそれなりの収穫は得られた。今後、さらに双方の研究交流が進むことを祈るばかりである。


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2015年10月20日火曜日

【ニュース】タタール語を学ぶスウェーデン人「英語でタタール語を学べる本がない」


スウェーデン人のピエール・アベルクさんは、ロシアで(話者数が)二番目の言語であるタタール語に興味を持ったが、スウェーデン語や英語でタタール語を学ぶことがほとんどできず、タタール語はロシア語で学ぶしかないと話す。

私たちはタタール語を自ら興味を持って学ぶ外国人の紹介を続けている。ただ、英語や他の外国語でのタタール語教材がほとんどないことは興味深い。存在する数少ないサイトや質の高い教材は、基本的にロシア語だ。

このような条件下で外国人はどうタタール語を学ぶのか?スウェーデンのピエール・アベルクさんもこの問題に直面した。彼はロシア語が少し分かるが、タタール語を他の言語で学ぶのは難しいという。

ピエールさんはなぜタタール語を学ぶのか?私たちはこのことについて彼本人にインタビューした。

記者:ピエールさん、自己紹介をお願いします。生まれはどこですか?

ピエールさん:私はスウェーデンのウメオという町で生まれました。今私はスウェーデン北部にあるハパランダという小さな町に住んでおり、そこにある大学で学んでいます。

記者:いくつの言語が話せますか?

ピエールさん:スウェーデン語、ノルウェー語、英語、ロシア語ができます。他のいくつかの言語でも多少話すことができます。タタール語にとても興味があります。

記者:ロシア語から始めましょう。この言語への興味はどのようにして生まれましたか?

ピエールさん:ロシア語はかなり前から独学していました。2014年に私は仕事をやめ、ハパランダにロシア語を学ぶために引っ越しました。ロシア語は私にとって非常に難しい言語です。特にロシア語の文法は、英語やスウェーデン語と比べると難しいです。


記者:なぜタタール語の勉強を始めましたか?

ピエールさん:タタール語はロシアでは話者数で二番目です。そのため私はタタール語でいくつかの表現を学ぶのは面白いだろうと考えました。

最初は、全ての民族語でいくつかの単語を覚えたいと思っていました。しかしタタールスタンに来て、私はタタール語の美しさに感動しました。そのため、この言語にとても興味を持ちました。私はトルコ語とペルシャ語が少しわかりますが、東方の言語のうち、私にはタタール語が一番美しく感じられます。

記者:タタール語をどうやって勉強していますか?

ピエールさん:まず、インターネットで世界中の多くの友人とタタール語でやり取りしています。実際にコミュニケーションをとることが非常に効果的です。

次に、YouTubeで「私はタタール語を話します」というビデオ講座を見ています。

教科書はというと、使っていません。なぜなら、残念ながら、スウェーデン語や英語で書かれたタタール語の教科書を一つも見つけられなかったからです。

記者:タタール語は難しいと思いますか?

ピエールさん:私にとって一番難しいのは、タタール語を学ぶための本や情報を見つけることです。それらのほとんどはロシア語で書かれています。他の言語でタタール語を学ぶのは難しいです。

私はいつもロシア語のサイトを使いますが、ロシア語は私の母語ではないので、これはとても難しいです。幸運なことに、良き友人たちが助けてくれています。

記者:タタール文化では何に興味がありますか?

ピエールさん:私にとってカザンは、ロシアの共和国で最も美しい街です。ただ残念ながら、まだそこに行ったことがありません。

タタールスタンの人々は私にとって、とても友好的で暖かく感じられます。彼らの人生観や価値観はロシアの他の民族とかなり異なると思います。

一回リガでタタール人の画家と会ったことがあります。彼は私に絵をプレゼントしました。「君はタタール語が良くできるね、是非私の絵をプレゼントしたい」と彼は言いました。

記者:スウェーデンでは言語の保護のためにどのようなことが行われていますか?

ピエールさん:私はロシアでの状況を知りません。スウェーデンでは、「母語教育」というシステムがあります。それに基づき、母語がスウェーデン語ではない子供は週に一回学校で母語の教師のところへ行き、母語を学ぶことができます。

記者:スウェーデンのタタール人と会ったことはありますか?

ピエールさん:私の街にはタタール人がとても少ないです。そのため彼らのイベントについては知りません。

ストックホルムにタタール人団体があることは知っていますが、残念ながら私は遠いところに住んでいるのでそこに通うのは難しいです。

http://www.azatliq.mobi/a/27314682.html


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【タタールスタン観光】森と湖に囲まれたライーファ修道院

修道院の入口にある塔
ライーファ修道院Раифский Богородицкий мужской монастырь / Раифадагы Гайсә анасы ирләр монастыре)は、カザンからバスで1時間半ほど西に行ったところにある、森の中の湖畔に佇む修道院。17世紀につくられた。今ではカザン近郊の有数の観光地となっている。

 修道院の中には色鮮やかな建物が建っている。
 配色は、白・緑・青が基調になっている。
 訪れたのは2014年の9月末で、ちょうど紅葉がきれいな季節だった。


湖ではボートに乗ることができ、美しい修道院の景色を見ながら楽しむことができる。
冬の修道院(2016年1月)













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2015年10月19日月曜日

【ニュース】日本人も興味を持つタタール文化

2015年10月18日 intertat.ru

1017日から24日まで日本でタタール文化デーが催される。このイベントにはタタールスタンから公式の代表団と共に学者、アーティスト、料理人も同行する。太平洋に面する強く独特な国の一つである日本の人々に、タタールのアニメ、料理、様々な展示が提供される。



日本初のモスク建立から今年で80年になる。神戸にあるこのモスクの建設にはタタール人ディアスポラも大きく貢献した。学者らはこれを記念して、タタール文化デーの中で学術会議の開催を計画している。タタールスタン科学アカデミーのマルジャーニー歴史研究所のマラット・ギバッディノフさんは、「日本でタタール人を研究している学者と会い、彼らの研究分野・研究成果を知り、将来の共同研究について意見交換をします。私たちは日本とタタールの社会を例に、伝統的な社会の変化を示したいと思います。それはどう変わったのか、日本では民族性をどうやって守ることができたのか。これらについての議論が予定されています」と話す。


日本には60近くのモスクがある。最初のモスクは神戸で1935年に建てられた。その建設にはタタール人も尽力した。タタール人が礎を築いた東京モスクは1938年に建てられた。



会議では日本の古文書に保管されているタタール関係の資料を明らかにするという問題も取り上げられる。日本人はタタール人に大変興味を持っているということは、もう誰に対しても秘密ではない。その中には祖先がタタール人という人もいる。タタール人の学者らが本格的に日本人と交流するのははじめてとはいえ、これまでもつながりはあった。「学者のラリサ・ウスマノヴァさんが日本に10年住んで、そこで研究を行いました。彼女を介してもつながりができました。日本からも人々がよく来ました。他の国で行われた会議でも会いました」とマラットさんは話す。

日本でのタタール語人気を学者らはそれぞれの考えで説明する。日本人は非常にまじめな民族だ。何か仕事に取り掛かるなら、それを完璧に行う。この性格は彼らの民族性にしみこんでいる。日本の有名な言語学者で歴史学者の服部四郎(妻はタタール人)は、タタールの言語と歴史に興味を持った。彼の説によると、タタール人と昔の日本人の間には共通の源があるという。言語・音楽・考え方における共通点はそこから来ると、服部四郎は考えた。

タタール語にハマった日本人
タタールの歌を聴いてタタール語にハマった日本人・菱山湧人さんについて、タタールメディアは多く報じた。私たちの編集部も菱山さんと2012年から連絡を取っている。「皆さんのサイトでタタール語のニュースを読んでいます。いくつか質問したいことがあるのですがよろしいでしょうか?」というメールが2012年の夏に届いた。

2回国際タタール語オリンピックでグランプリを受賞した菱山さんは今カザンで学んでいる。カザン連邦大学の言語学部でタタール語を学術的に学んでいる。最近、ネットでサイトを開設した。「アクバルス」という名前のサイトについて彼は私たちに以下のように話した。「私たちは、日本でまだ知られていないタタールの文化や言語、タタールスタンを紹介する目的でこのサイトを運営しています。サイトには日本語でタタールスタンのニュース、タタール料理のレシピ、タタール語、タタールスタンの観光名所についての情報が載っています。私たちのサイトは、タタール世界について日本語で書かれた最も詳しい情報源と言えます」。

上にも書いたとおり、日本で101724日にタタール文化デーが行われる。


「タタールスタンから来るアーティストが参加し、平塚にある東海大学で「タタール・コンサート」という名前のコンサートが行われます。また、タタールのアニメの上映、タタール料理の紹介などの文化イベントが予定されています。1017日には東京モスクでタタール文化デーの開会式があります。19日には東海大学で「日本とタタール世界の文化・経済・技術関係」というテーマの学術会議が行われます。21日には神戸モスクの80周年記念イベントが行われます。22日には松江でタタール人アーティストの参加するコンサートがあります。23日にはそこで学術会議の続きが予定されています」と、菱山さんは伝えた。



記者:菱山さん、去年の11月にタタール語講座が始まりました。授業はどんなふうに行われていますか?どんな教科書が使われていますか?

菱山さん:タタール人が礎を築いた東京モスクで、在日トルコ大使館とユヌス・エムレ・インスティテュートの後援でタタール語講座が行われています。授業は唐澤ギュルナラさんというタタール人の方が行っています。講座はセメスター制で、一セメスターは10回の授業からなり、9月に4回目のセメスターが始まりました。講座には初級と中級の二つのクラスがあり、二つのクラスに合計20人ほどが通っています。授業は毎週日曜日に行われ、受講生のほとんどは日本人です。授業ではまず簡単に文法を学び、そのあとそれをもとに例文を作り、会話します。授業の最後にはタタールの歌を歌って歌詞を学びます。授業はラテン文字で行われ、先生の作った教科書が使われています。

記者:カザンに満足していますか?テーマは何ですか?言語を学ぶときどんな困難に遭いましたか?

菱山さん:カザンは生活するのに便利な町だと思います。大きすぎず小さすぎず。良い友人や先生がいます。気候だけ少し厳しいです。


記者:菱山さん、タタール語は難しい言語で、外国人にとって学ぶのは簡単ではありません。あなたは難しいテーマを抱えているそうですね?



菱山さん:修論のテーマはタタール語の所属人称接尾辞です。他のチュルク諸語との比較も考えています。これはとても難しいテーマで、多くの時間が必要です。

記者:将来にはどんな希望を持っていますか?


菱山さん:夢は日本でタタール語の研究者になり、タタール語の授業を行うことですが、これを実現するのは大変難しいので、他に仕事を見つけなければならないかもしれません。いずれにせよ、これからもタタールに関わる活動は続けていきたいと思います。




豆知識:有名な日本の侍の刀は「たたら」という技術で作られる。これはタタール人の祖先が47世紀にアルタイ山脈から朝鮮を経由して日本に伝わったという説がある。

http://m.intertat.ru/tt/milli-tt/item/49880-tatar-m

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【タタールスタン観光】船で行く歴史の島スヴィヤシスク

日曜日、日本人6人でカザン近郊の観光地スヴィヤシスクに行ってきた。スヴィヤシスクはカザンの西、ヴォルガ川の中にある小さな島。かつてロシアがカザン・ハン国を征服するためにこの地に砦を築き、その後はこの地域のキリスト教の中心地となった。

寮で6時30分に待ち合わせ、バスを乗り継いで港まで行き、朝8時20分に出向する船に乗った。スヴィヤシスクまで片道2時間、料金は114ルーブル。

<船旅>

 カザンを出た船はヴォルガ川を横断して、対岸にある町ヴェルフニー・ウスロンに向かう。
 ヴェルフニー・ウスロンは人口4千人ほどの街で、ロシア人が過半数を占める。
 ヴェルフニー・ウスロンの船着き場。
 ヴェルフニー・ウスロンの街並み。
 ヴェルフニー・ウスロンを出た後は、ヴォルガ川を流れに逆らって西に進む。川の南岸は切り立った崖になっているところが多い。
 小さな船着場。
 河岸の集落。













スヴィヤシスクの島が見えてきた。

















<スヴィヤシスク>
 11時前ごろに到着した。立派な港の建物は閉まっていた。
 観光地だが、島の中には集落があり、人が住んでいる。
 島内には美しいキリスト教建築が点在する。
 かつてあった古い建物を復元したものも多い。いまだに復元中のものも見られる。
 島で一番大きな建物は大きなドームが美しい聖堂だ。
 敷地内にある別の建物。
 聖堂を近くから撮影。
聖堂を見た後、近くのレストランで昼食を取った。ボルシチがおいしかった。 

昼食後、島の南側にある修道院に向かった。
修道院内にある建物。中に入ることはできなかった。いくつかの建物は修復中だった。
























修道院を出た後、集落を抜けて船着き場に戻り、15時半出発の帰りの船に乗ってカザンに戻った。オキナワという名前の日本料理店で巻きずしとピザを食べた後、寮に帰った。


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